美味しいものを食べると幸せになる
そんなの当たり前じゃないか。と、言われるだろう。いや、その通り、当たり前のことを言ってることはわかっている。
大好きな人といる幸せ、大好きなこと(例えば山登り)をしている幸せとはまた違う。努力をして得た幸せとはちょっぴり幸せの質が違うのだ。
美味しい幸せは努力しないでも得れる、と言いたいわけではない。努力して得たお金で美味しいものを食べれることもまた事実だ。
ただ、精神的にも肉体的にも疲れることなく得れる幸せは、美味しいものを食べているときしかない。僕はそう思っている。
精神的、肉体的な疲れを否定してるわけじゃない。それはそれでとても大切で、その疲れがあるからこそ得れる幸せももちろんある。もちろんあるどころか、そうして得た幸せのほうが価値ははるかに高い。
改めて言う、幸せの質がちょっぴり違う。これ以上の議論はやめておこう。
僕にとって至福の時は美味しいものを食べてるときなのだ。美味しいものだけは僕のことを裏切らない。間違いない。
好きな料理
好き嫌いはないけれど、どちらかというと和が好きだ。パンよりも白米、スープよりも味噌汁、寿司、刺し身、焼き魚、焼き鳥、煮もの、おでん、うどん、蕎麦、などなど。そして純米の日本酒。
イタリア料理やフランス料理、その他の国の料理ももちろん好きだけど、和が落ち着く自分がいる。やはり僕は日本人だなと思う。あえて言えば、激辛料理は苦手だ。食べることができないわけではないけれど好んで食べたいとは思わない。痺れる辛さは好きだ。
洗い物嫌いの料理好き
自分で料理をするのもどちらかといえば好き。だから、自分でも作れそうな料理をお店やお宿で出されるととってもげんなりする。でも、洗い物が嫌いなので料理はときどきしかしない。精神的にも肉体的にも疲れることなく幸せを得たいわけで、やはり美味しいものは他人に料理してもらって食べるに限る。
美味しいお店との出会い
値段が高いから美味しいとは限らない。むしろ、高いのに「こんなものか。自分でもつくれそうだ。」とガッカリすることもよくある。そこまで高くなくても美味しいお店はたくさんある。なので、僕はコストパフォーマンスをとっても大切にする。
「あぁ、美味しい。幸せだぁ。幸せすぎる。」
コスパも良くて、ため息をつくような美味しいお店には、そうそう出会えないけれど、そんなお店と出会えることが日々の楽しみだったりする。少なくない人生のなかでいくつか良い出会いにも恵まれ、足しげく通っているお店もある。
他の人から評価が低くても自分にとって美味しければいい。利己的に聞こえるかもしれないけれど、「美味しい」という幸せはそういうことだと思う。
訪れたお店のことはここにも少しずつ書き留めてみようと思っている。
いつか君と訪れてみたいお店もいくつかある。実現できたらそれは嬉しい。たとえ僕がいなくても、そのときお店がまだあれば足を運んでもいいかもしれない。僕の名前を言えばきっと思い出してくれるご主人もいるはずだ。
食通を気どるつもりは毛頭ない。池波正太郎や北王子魯山人にはなれないし、真似るのもおこがましい。ただ、美味しいものを食べているときが一番幸せなのだ。ただ、それだけの話なのだ。
【おわり】